2,病理検査結果とその後の治療ー抗ガン剤とホルモン剤ー    その1へ  3,つれづれ@へ

6/23(月) 退院後初めての診察
病理検査の結果
浸潤性乳管癌(充実腺管癌)、腋下リンパ節転移1/16、ステージUB、ホルモンレセプターは2つとも陽性、ホルモン剤が効くタイプ。ノルバデックス服用(のちにアリミデックスに変更)。抗ガン剤はCEF6クールに決定(3週間に1回×6)。CAFは心電図で引っかかった私には向かない(心毒性?)。早速25日から開始する。
6/25(水) CEF1回目 採血して「至急」で(約1時間後)結果をみて点滴する。白血球4000,OK。身長と体重からなにやらDr.は筆算して投与量決定。バッグに入ったDr.の指示を薬剤部へ。それから点滴室。3本点滴,@は吐き気などの副作用止め、Aは赤、それもいかにもって言う感じの毒々しい赤、Bは透明の抗ガン剤。約2時間。針を刺すのは別のDr. 一発ではいる。上手。
当日とくに異常なし。
  2日目 少し気分悪いが吐くまではいたらず。
  3日目 1日中吐く。ただ寝て暮らす。氷1個、飴1個のみ。
  4日目 朝1度吐いたがスイカがおいしい。バナナ1本。便秘に苦しむ。
  5日目 全体的にぼちぼち回復。キュウリの酢の物、茄子の煮物を作ってみた。食べたいと思うものができてうれしい。膝のガクガク感はずっと続いている。
  6,7日 だいぶん元気になった。
7/2(水) 診察、採血 白血球2600 もっと減少が予想されるので来週月曜に来るように
7.7(月) 診察、採血 白血球1500、感染予防のためマスク、うがい、手洗い実行を指示された。
白血球を増やす注射(骨髄のはたらきを促す)。白血球数だけでなく好中球がポイントらしい。
7/8(火) 注射 白血球を増やす注射
午後腰が痛い。だんだんひどくなって、動悸ににあわせてズキンズキンとさすような痛さ。たまらず病院へ電話した。Dr.につないでもらう。「それは骨髄が一生懸命にがんばっているということです。」バッファリン1錠服用を指示。ハイ、よく効きました。
7/9(水) 診察、採血 ぎりぎり注射はいらない。来週2回目抗ガン剤ができるだろうとのこと。
この1週間はほぼふだんどおり食欲もある。元気。
7/16(水) CEF2回目 白血球4300、OK
 
  前回吐き気と便秘に苦しんだので今度は薬を出してもらった。
おかげで吐くことは1度もなく便秘からも解放された。これならやっていける。
7/23(水) 採血、診察 OK
7/28(月) 採血、診察 白血球1900だが好中球とかけ算?してOK。ギリギリ注射は免れる。
7/30(水) 採血、診察 問題なし、やっと元気になったらまたなんだよねえ。
8/5
リマンマ
京都のワコールへおっぱいを買いに行った。体調の良い時期が予想出来るようになって計画的に動けるのはありがたい。術後三宮さえ2度行ったきりなのに、いきなり大阪を飛び越えて、ですからねえ。でも新快速は快適だった。外を飛んで行く景色を見るのも楽しくて、うれしくて。さてワコールでは個室で係員がついて丁寧にフィッティング。大きさも重さも感触も申し分なし。おっぱいを失っても私達は再びよみがえることができるのだ。こんな時代でよかった。
結構重いのですよ。もとが大きい方だったから。シリコン製。専用のブラジャーに入れて使う。
8/6(水) CEF3回目 OK。 パターンがわかってきて副作用ともうまくつきあっている。ただ3日、4日目は気持ちが悪い。ひたすら眠って嵐がとおり過ぎるのを待つ。
8/13(水) 採血、診察 白血球はまずまず(3600)。がしかし肝機能が落ちる。「だるいでしょう」「はい、ごろごろしています。」3桁になったら大変。減量、延期も考えてもよいとのこと。
8/20(水) 採血、診察 からだの倦怠感、心臓がドキドキ。ちょっと動いたら横になっている。肝機能がおちているからだろう。 昔好きだったサーカスのCDを買ってきて繰り返し聴いている。すばらしいハーモニー。
後日談。曲といっしょにあのころを思い出すのでもう聴けなくなってしまった・・・・
ごめんね。
8/27(水) CEF4回目 5300でOK、肝機能少し改善、飲み薬の効果か。
夏休みで帰ってきた娘を同行。母親がこんな病気になったことで娘もリスクが高くなる? 娘にも聞いておいて欲しかったのだ。「遺伝というより今女性の癌では一番多くなっている。だれにでも起こりうるものです。」でもセンセ 結婚や出産が遅くなるとリスクが高くなるんですよね?もはやその両方に入っているんです!
9/3(水) 採血、診察 2400 、9/8要受診
9/8(月) 採血、注射 2040 注射
9/10(水) 採血、診察 3000
9/17 CEF5回目 副作用の血管炎がだんだんひどくなる。血管が出にくくてDr.は苦労されている。
手首から肘までの内側に血管が固くなっていてスジが見える。痛い。血圧計で締められると とっても痛い。ああ困ったな。術側の手は使えないので右手血管が集中攻撃・・・
9/24(水) 採血、注射 肝機能3桁に落ちる。静脈注射@
9/25(木) 注射 静脈注射A
9/26(金) 注射 静脈注射B6回目でやっと入る。この間看護婦さん3人交代。でも刺される方は一人なんですけど。
9/29(月) 診察 6回も・・とDr.に訴える。これに代わる皮下注射でも痛い筋肉注射でもいいからないですか?なし。飲み薬を増やすことに。
胸のどきどき感、だるさは相変わらず。
10/1(水) 採血、診察 次週CEFの予定。その4日後に実は市のまちなみコンクールで入賞して(NHK神戸放送局長賞)表彰式があるのでダメモトで「延期はまずいですよねえ」と聞いてみた。「ウーン、やっぱりできるときにやりましょう」。まあ吐き気止めを飲んで這ってでも行きますか。
10/8(水) CEF6回目 いよいよこれで終わりです。減量も延期もなく予定通りできた。
白血球減少,肝機能低下、など副作用による体力低下、血管炎・・・もう1回と言われてももうできない。限界です。再発したらエンドレス?私にはとても耐えられない。
10/15(水) 採血、診察、 これからは後始末
10/20(月) 採血、診察 白血球の注射
10/21(火)   白血球の注射
10/22(水) 採血、診察 「終わりましたねえ。ご苦労様でした。」\(*⌒ー⌒*)/
    こうして書いてみるとこれまでDr.には週1回どころかものすごい回数診ていただいたことになる。一人でこれだけだから先生は外来、特に水曜日の乳腺の外来は大忙しである。ありがとうございます。
リンパに1個転移があったために受けることになった抗ガン剤だけれど、あとで勉強して知ったことだが、術後抗ガン剤でたたくことは再発予防のための最後の機会であるということ。その意味ではしてよかったと思っている。たとえ数%の効果であったとしても。再発してしまったら完治はもうないという記事を見るにつけそう思う。
11/   母の1周忌のため郷里の岡山へ。母が逝って半年で私の乳ガンを発見した。順序が逆でなくてほんとうによかったと思っている。母は癌になることもなく94歳の長寿を全うした。おばあちゃんきっと守ってくれるよね。
長年空家になっているのでまず蜘蛛の巣はらいから。夫は障子貼り、私は大掃除とよく動いた。無事に法要を終えることができた。
11/18 エコー OK
11/26 診察 アリミデックスに変更 ここから診察は月1回。ノルバデックスからアリミデックスへ変更。ホルモン剤は5年間続く。肝臓の薬(グリチロン錠)は当分続ける。
12/15 めまい 前日朝から寝たり起きたりすると目が回る。初めての経験。しばらくおさまるのを待ってそろそろ動く。メヌエル病かと勝手に決めて、ああ、またやっかいなものを背負い込んだとため息。病院へ電話を入れて診察に行く。すぐに耳鼻科にまわしてもらっていろいろ検査。結果、耳鼻科の領域の病気ではないとのこと。ではなんだ?これも副作用?ストレス?診ていただいて安心したのか次の日には治まった。
12/18 小旅行 ずっと気になりながら果たせていない夫の母を熱海に訪ねた。こちらの母も94歳。元気で再会を喜んでくれた。私もひとつずつやりたいことができるようになってうれしい。帰りに娘が転勤で住む静岡に寄った。「カーナビつけたからどこへでも連れて行ってあげる。」まず登呂遺跡へ。これは昔取った杵柄。心が弾む。車窓から土手に生えた草の葉が逆光の夕日に輝く姿を一瞬目にした。透明感のある緑のなんと美しいことか。こんな病気にならなかったら、おそらく見すごしていただろう。
12/24 診察

グレード3

疎外感
核異型度を聞いていなかったのでおたずねした。しつこく2度目です。
「グレード3です。」「エーッ! 3なんですかー」またまたガーン。これはがんの悪性度、顔つきというもの。グレードは1〜3まであって3は一番「悪い」というものです。これは予想以上の悪い知らせ。これはショックでしたねえ。
おりしもクリスマスイブ。街では山ほどのお買い物をした楽しそうな家族連れがいっぱい。歩きながら涙があふれた。もう私はその仲間に入れてもらえないような気がして・・・。
立ち直るのに1週間はかかった。
娘がメールをくれた。遠くに住む娘はネットで調べて治療の進歩とか「良い」情報を集めてくれた。発信が午前1時を過ぎていた。仕事があるのにありがとう。
もうやらないと言っていたお正月の準備を、それでも少しずつしていくうちに元気になっていった。なんとか新年を迎えられそう。気持ちを切り替えていこう。
2004
1/15
胆石手術 胆石の手術。乳ガンの検査でわかっていたもの。直径1.3センチはある石あり。
どうせとらなくてはならないものなら、「S先生がやってくださるなら」と再びまな板の鯉になる決心をした。イギリス旅行が控えていることもあった。
詳しくは触れないけれど、全然心配などしなかった。内視鏡の手術。「ポコッと出ました」だって。3日で退院。その後も何も問題なし。

入院中、Dr.に乳ガンの病理結果のコピーをいただけないかお願いしてみた。快くOKしてくださった。
自分の病気のことはちゃんと知っておきたいと言った。これは今もずっと変わらない私の信念である。グレード3を知ってしまったからもうこわいものはないし。
いえいえ、グレード3も含めてそれが私の病理なのだ。
2/18   OK 月1回の定期的な診察。ホルモン剤アリミデックスをいただく。
3/17   OK アリミデックス

親戚の法事の席で医師と結婚している従妹夫婦達に会う。一人はなんと乳腺の専門医という。私は病理結果をすらすら言えたのだ。「あなたたちはいいわねえ。お医者様のそばにいるから安心じゃない。」と言ったら隣のもう一人のお医者さまが(婦人科)「いやー なるときにはなるもんですよ」とポツリ。「タモキシフェンを飲んでいるなら子宮体癌の検査に年に1度は行きなさい。出血したら即病院ですよ。」と言われた。アリミデックスに替えてもらったので体癌のリスクが少しは避けられるとみていいのかな?
4/14   OK アリミデックス
5/12   OK アリミデックス(以降5年間続く)
6/9,21,22 1年検査いろいろ 採血、レントゲン、骨シンチ、腹部CT(造影剤)。ちょっとドキドキもの。
結果はイギリスから帰って聞きに来ますね。
7/14 検査結果 部屋に入るなり「いいお知らせですよ」とDr.がにっこり。
まだ私、頑張ってもいいのだ〜

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